この句碑は小林一茶が曽根天満宮に参拝したことを記念して建てられた。一茶が当社に参拝した様子は、「西国旅日記」に記されている。


一茶「西国旅日記」寛政七年
姫路の城を通る、書写より一里なり、先づ音に聞く名城を見て、豆崎きより高砂、曽根の別れ道につく、曽根の松は菅公の植へ給ふと、惜しいかな、片枝枯れてあれば


  
散松葉 昔ながらの 掃除番

この日記文の「片枝枯れてあれば」の記事により、社記の寛政十年霊松枯死の事実が裏付けられている。