寛政10年霊松が枯死したと伝えられていることから、これ以後に建てられたものと考えられる。棟札その他の記録が残っていないので不明であるが、建築様式から見ると江戸時代中期以前のものと思われる。


寛政10年に枯死した初代霊松の幹は今も保存され、注連縄がめぐらされて、人々の信仰を集めている。